
講師などの食育活動をしていると
「朝食は食べなくてはいけないのか」
「農薬はありか無しか」
「食料自給率は低いままでよいのか」
といったことを聞かれることがあります。
客観的な事実を質問されているのか、意見(価値観)を質問されているのか、判断の難しい質問です。
客観的に答えようとしても、「善悪」「〇×」「白か黒か」といった二元論で片づけられるものであればよいのですが、実際のところ、食に関する質問を二元論で答えるのは容易ではありません。
結局、価値観にもとづいて答えるしかないのかもしれません。
ここでは、そうした質問にどう答えればよいのか、について解説します。
<目次>
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1.食育の価値観
質問に的確に答えるには、自分なりの価値観を持たなければなりません。
受験勉強の数学であれば正解はつねに1つですが、世の中の質問のほとんどは正解を持っていません。
食育の場合、とくにそうです。
正解がない中から質問に答えようとしても、価値観がなければ、答えられないのです。
価値観を持ちましょう。
1-1.価値観の作り方

まず、どんな事柄でも、2つの異なる視点で考えることができます。
- 〇〇を正しいとする視点
- 〇〇を誤りとする視点
次に、この2つの視点を踏まえ、第3の視点を考えます。
ヘーゲルという哲学者はこれを「弁証法」と名付けました。
この「弁証法」が、食育の価値観を作るのに役立ちます。
<弁証法>
- 〇〇を正しいとする視点…これを「正」とします。
- 〇〇を誤りとする視点…これを「反」とします。
- 「正」と「反」、双方を考慮したうえで、1段階高いところから全体を見る…これを「合」とします。
すなわち、「正」と「反」から、「合」を導きます。
1-2.食育への応用
たとえば、「和食は健康に良いのか」を考えてみます。
- 「和食は自然の素材を生かした料理が多く、体に良い」これを「正」とします。
- 一方で、「和食は塩分が多い」これを「反」とします。
「正」「反」を見比べ、ここで結論としてどちらかを選択するのが1つです。
すなわち「和食は健康に良い」と言い切るか、「和食が塩分が多い」と言い切るか、のどちらかです。
しかし、どちらにも与せず「合」を目指すこともできます。
たとえば、こうです。
- 「和食は自然の素材を生かした料理が多く、体に良い」これを「正」とします。
- 一方で、「和食は塩分が多い」これを「反」とします。
- 「塩分控えめの和食を開発し、健康によい食事とする」これを「合」(第3の立場)とします。
2.価値観を問われるテーマ例
価値観を問われやすい例として、以下のものを挙げておきます。
- 朝食
- 農薬
- 遺伝子組み換え
- 食品衛生
- 食料自給率
それぞれ、「弁証法」的に考えてみましょう。
2-1.朝食
(「正」「反」「合」と分類して解説しますが、「正」だから正しい、「反」だから間違っている、ということではありません。念のため)
【正】
多くの食育講座や食育イベントでは、「朝食はしっかりとるべき」という主張をしています。
世間一般でも、実際に朝食をとっている、いないは別として、知識としては「朝食は食べるほうがよい」と認識されているようです。
学校教育の現場でも、「毎日しっかり朝ごはんを食べましょう」という指導がなされています。
【反】
朝食を否定する専門家もいます。
朝食に反対する書籍もいろいろ出版されています。
朝食のすべてを否定しているのではないけれども、現代人の朝食の中身を問題視する意見もあります。
【合】
朝食の可否については、専門家のあいだでも意見が分かれているので、正直なところ、どっちが正しいかは一概に言えません。
学校現場で朝食が推奨されていることから推察すると、日本政府は朝食推奨派なのでしょう。
したがって現時点では、「両方の主張を理解したうえで」個々人で判断する、というのが、望ましい態度と思われます。
2-2.農薬

農薬を使わずに食料生産がじゅうぶんにできるなら、農薬は使わないに越したことはありません。
食べる側(生活者側)が農薬を避けたいと思うのは当然のことですが、作る側(生産者側)にとっても農薬はコストアップになりますから、使わずにすむなら使いたくないというのが本音です。
たとえば、いわゆる「植物工場」のような、鳥も昆虫もいない環境で農業生産をするのに、わざわざ農薬を使うことはほとんどありません。
必要がないからです。
つまり、農薬を必要がないのに無駄に使っている生産者は、どこにもいません。
慣行農業では、農薬を使わなければ農作物は鳥や昆虫に食べられたり、成長に必要な養分を雑草に奪われたり、病気のリスクが高まったりします。
その結果、人類は食料不足に陥ります。
大局的に見れば、人類の生存に必要な食料を生産できるように、農薬が導入されています。
しかし一方、だからといって食べる側(生活者側)は農薬を無条件に甘受しなければいけないのかというと、それも誤りです。
農薬に大なり小なり、何らかの健康リスクがあるのは間違いありません。
農薬を使用して食料生産が確保できたとしても、そうして生産された農産物を口にした人々が健康被害にあっては意味がありません。
そこで、農薬に対しては
- できるだけ人体に害の少ない種類
- 必要最小限の量
に限って使用されるように、法律や監視システムが整備される必要があります。
▽
以上を整理すると、
- 慣行農業では、農薬がなければ食料生産能力が落ちる
- 農薬には何らかの健康リスクがある
ということになります。
ここまで理解したうえで、
- 食料生産を犠牲にしてでも農薬を止めるべきなのか(正)
- 健康リスクと食料生産のバランスをとることで農薬の使用を続けるべきなのか(反)
どちらを良しとするか、あるいは第3の道を探るか(合)は、人それぞれの価値観ということになります。
2-3.遺伝子組み換え
わたしたちが口にしている多くの農産物は、品種改良の結果、生まれたものです。
通常の品種改良は、交配を試行錯誤することにより、時間をかけて行われています。
そのためでしょうか、人類は品種改良に対しては拒否反応を示すことがほとんどありません。
遺伝子組み換えは、バイオテクノロジーから生まれる品種改良です。
時間をかけた交配によるものではなく、ラボ(研究室)で遺伝子を操作することで、短期間で品種改良が行われます。
通常の品種改良が多くの人に受け入れられているのに対し、遺伝子組み換えについては、強い拒否反応を示す人が少なくありません(※)。
その理由としては、以下が考えられます。
- 遺伝子組み換えには「人工的」「不自然」なイメージがあること
- 遺伝子組み換えが人体に安全であることを科学的に証明するのが容易ではないこと(※2)
- 遺伝子組み換え農産物の花粉や種子が散らばることで、地球の生態系にどんな影響があるかが分かっていないこと
しかし一方で、拒否反応を示す人が少なくないにも関わらず、遺伝子組み換え農産物が"開発"される背景には、
- もっと早く成長する農産物がほしい
- 病気にかかりにくい農産物がほしい
- 農薬に抵抗力のある農産物がほしい
- 自然環境の厳しいところでも育つ農産物がほしい
すなわち「生産量を上げたい」という生産者側の需要があります。
大局的に見れば、これは生産者側だけの需要というより、必要な食料生産を確保したいという人類全体の需要でもあります。
とくに、農業をしにくい地域(砂漠など)に住む人々や、深刻な食料不足に悩む地域の人々が、遺伝子組み換え農産物に期待を抱いていることは否めません。
▽
以上を整理すると、
- 遺伝子組み換え農産物は、人類の食料生産力の向上に寄与する
- 遺伝子組み換えの安全性(人体への安全、地球環境への安全)は証明されていない
ということになります。
ここまで理解したうえで、
- 遺伝子組み換え農産物に頼ってまで食料生産力を上げたくないと考えるか(正)
- 安全性が不透明でも食料生産力の向上を優先するか(反)
どちらを良しとするか、あるいは第3の道を探るか(合)は、人それぞれの価値観ということになります。
2-4.食品衛生
食品衛生には
- 情緒的な衛生
- 科学的な衛生
の2種類があります。
情緒的な衛生
- ハラル食(イスラム教の戒律にもとづいた食)では、過去に一度でも豚肉を炒めたことのあるフライパンは、その後どれほどよく洗おうと、永久に「不浄のもの」とされます。
- 子どもの遠足のために母親が手で握ったおにぎりは、コンビニエンスストアで売られているおにぎりに比べ、雑菌の繁殖率が何百倍も高いのが実態ですが、そのことが問題にされることはほとんどありません。
- 「酸化防止剤としてアスコルビン酸が添加されている」と言われると、体に悪いものが含まれている気がする
これらは、人々の衛生観念が情緒によって影響を受けることを表しています。
科学的な衛生
- じゅうぶんによく洗ったフライパンには、豚肉の名残はついていません。
- 科学的な見地では、子どもの遠足のために母親が手で握ったおにぎりのほとんどは、食品衛生法に違反しています。
- アスコルビン酸とはビタミンCのことです。
このように、科学的な衛生は、人々のイメージする「情緒的な衛生」とは乖離することが少なくありません。
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食品衛生を見るときは、
- 情緒的な衛生が問題になっているのか(正)
- 科学的な衛生が問題になっているのか(反)
両方の視点で、自らの立場(合)を考える必要があります。
2-5.食料自給率

近年の日本の食料自給率は、カロリーベースで4割程度です。
先進国の中ではかなり低い部類です(※3)。
日本政府は食料自給率を上げるための施策をさまざまに打ち出してきましたが、効果がありませんでした。
この状態を「問題あり」と見るか、「問題は数字ではない」と見るかは、人それぞれの価値観ということになります。
問題ありと見る立場(正)
食料自給率が4割ということは、残り6割は海外からの輸入に頼っているということ。
もし世界的な紛争が起き、この6割が入ってこなくなったら(※4)、日本の食卓は終戦後の食料不足の時代のようになる。
そんな事態に備え、食料自給率を上げていかなくてはならない。
問題は数字ではないとみる立場(反)
他国同様、日本も世界全体の役割分担システム(=食料供給システム)に組み込まれている。
日本が単独で食料自給率を上げれば、日本むけに農業をしている他国の生産者が市場を失ってしまう。
大事なことは、食料不足に備えて自給率を上げるのではなく、そもそも世界的な紛争が起きないように世界平和の努力をすることだ。
この両者のどちらの立場をとるか、あるいは第3の道を探るか(合)は、人それぞれの価値観となります。
まとめ
食育活動が進むにつれ、
- 朝食は食べるべきかどうか
- 農薬や遺伝子組み換えについてどう考えるか
- 食料自給率が低くてよいのか
など、さまざまな質問を受けるようになります。
こうした質問に説得力のある答を返すためには、「弁証法」を知っておくと便利です。
「弁証法」とは、賛成・反対双方の意見を知ったうえで、自分なりの答を出すことです。
自分なりの答には、賛成・反対、どちらでもない第3の答が出ることもあります。
(※1)アメリカは全体としては遺伝子組み換えに寛容な国ですが、日本やヨーロッパには遺伝子組み換えを嫌う国民感情があるようです。
(※2)「喫食実績」という言葉があります。米のように人々が歴史を通じて長らく食べていたものは「喫食実績がある」。カップラーメンのように歴史的に新しい食べものは「喫食実績が少ない」となります。
(※3)主な先進国の食料自給率グラフを下に記載しておきます。
(※4)国家が食料確保の努力をすることを「フードセキュリティ(food security)」といいます。
出典:農林水産省
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